目次
・概要
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概要
大正時代は、政党政治が発展し国民の政治参加が拡大した時代です。
一方で社会不安や思想統制も進み、昭和期への転換点となりました。
特徴
| 政治 | 政党政治の発展 普通選挙の実現 |
| 経済 | 大戦景気による成長 その後の不安定化 |
| 社会 | 労働運動・民衆運動の活発化 米騒動 |
| 国際 | 国際協調(ワシントン体制) ただし植民地主義は継続 |
藩閥政治の終焉(対立の始まり)
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第三次 |
1912年12月~1913年2月(大正元年~2年) 与党 - 立憲政友会の(尾崎行雄)と立憲国民党の(犬養毅)が中心となり (大正)政変と呼ばれます。 |
確認 |
政治不信と過渡期(混乱の時代)
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第一次 |
1913年2月~1914年4月(大正2年~3年) 与党 立憲政友会 (軍部大臣現役武官)制を改正し、予備・退役の大将と中将まで大臣に任命できるとしました。 文官任用令を改正しました。 (シーメンス)事件で総辞職しました。(ドイツのシーメンス商会による日本海軍高官への贈賄事件) |
確認 |
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第二次 |
1914年4月~1916年10月(大正3年~5年) 与党 立憲同志会 1914 (第一次世界)大戦が起こりました。 大戦景気 |
確認 |
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吉野作造が(民本)主義を唱えました。 ・主権は天皇にある前提を維持 ・政治は民意を基礎とすべきと主張 →民主主義とは異なり立憲体制内の改革思想 |
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| 普通選挙運動 選挙権の拡大を求める運動が活発化した。 |
社会不安の爆発(民衆の登場)
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(寺内正毅)内閣 |
1916年10月~1918年9月(大正5年~7年) 与党 - 1917 (ロシア)革命でロマノフ王朝が倒れ(レーニン)のソビエト政権が誕生しました。1918 (ロシア)革命に干渉するために(シベリア)出兵を行いました。 シベリア出兵で(米)価格が上がり(米)騒動が起こりました。 原因: ・米の買い占め・投機 ・需要増加(大戦景気) ・シベリア出兵による影響 →単一原因ではなく複合的要因 |
確認 |
政党政治の成立(大正デモクラシーの中心)
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(原敬) |
1918年9月~1921年11月(大正7年~10年) 与党 立憲政友会 原敬は(立憲政友会)の総裁で(平民)宰相と呼ばれました。 |
確認 |
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1919 (パリ講和)会議で(ヴェルサイユ)条約が調印されました。 |
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| 1920 (国際連盟)が設立されました。 アメリカの(ウィルソン)大統領の提唱ですが、アメリカは加盟しませんでした。 常任理事国は、イギリス、フランス、イタリア、日本です。 |
国際協調の時代(戦後秩序)
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(高橋是清)内閣 |
1921年11月~1922年6月(大正10年~11年) 与党 立憲政友会 軍縮と緊縮政策を行いました。 (ワシントン)会議(全権:加藤友三郎、幣原喜重郎) |
確認 |
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(加藤友三郎) |
1922年6月~1923年9月(大正11年~12年) 与党 立憲政友会 軍縮と(シベリア)撤兵を行いました。 |
確認 |
政党政治 vs 非政党(最終調整期)
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第二次 |
1923年9月~1924年1月(大正12年~13年) 与党なしの超然内閣 1923.9.1 に関東大震災が起こりました。 (虎ノ門)事件で総辞職しました。 |
確認 |
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(清浦奎吾)内閣 |
1924年1月~1924年6月(大正13年~13年) 与党なしの超然内閣 貴族院の勢力を基盤として成立した内閣です。 憲政会、立憲政友会、革新倶楽部は、(護憲)三派を結成し、 |
確認 |
政党政治の完成と限界
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(加藤高明)内閣 |
1924年6月~1926年1月(大正13年~15年) 与党 憲政会 当初(護憲三派)(憲政会・立憲政友会・革新倶楽部)の連立内閣として発足しました。途中から憲政会単独になりました。 (普通選挙)法の成立。納税資格を撤廃しました。ただし25歳以上の男性のみで女性の参政権は認められませんでした。 |
確認 |
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1925 (治安維持)法が成立しました。 |
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| 1925 (日ソ基本)条約を結びました。 |
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