大正時代の流れ|桂内閣から加藤内閣まで

目次

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概要

大正時代は、政党政治が発展し国民の政治参加が拡大した時代です。

一方で社会不安や思想統制も進み、昭和期への転換点となりました。

特徴

政治 政党政治の発展
普通選挙の実現
経済 大戦景気による成長
その後の不安定化
社会 労働運動・民衆運動の活発化
米騒動
国際 国際協調(ワシントン体制)
ただし植民地主義は継続

藩閥政治の終焉(対立の始まり)

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第三次
(桂太郎)
内閣

桂太郎 via Wikimedia Commons

1912年12月~1913年2月(大正元年~2年) 与党 -

立憲政友会の(尾崎行雄)と立憲国民党の(犬養毅)が中心となり
閥族打破・憲政擁護をスローガンとして(第一次護憲)運動が起こりました。内閣は、53日で総辞職しました。

(大正)政変と呼ばれます。

確認

政治不信と過渡期(混乱の時代)

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第一次
(山本権兵衛)内閣

山本権兵衛 via Wikimedia Commons

1913年2月~1914年4月(大正2年~3年) 与党 立憲政友会

(軍部大臣現役武官)制を改正し、予備・退役の大将と中将まで大臣に任命できるとしました。

文官任用令を改正しました。

(シーメンス)事件で総辞職しました。(ドイツのシーメンス商会による日本海軍高官への贈賄事件)

確認

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第二次
(大隈重信)内閣

大隈重信 via Wikimedia Commons

1914年4月~1916年10月(大正3年~5年) 与党 立憲同志会

1914 (第一次世界)大戦が起こりました。
ドイツ・(オーストリア)の同盟国
イギリス・(フランス)・(ロシア)の協商国の対立がありました。
日本は(日英)同盟を理由にドイツに宣戦し、中国山東省の(青島)と南洋諸島を占領しました。
※イタリアは当初同盟国側でしたが、1915年に協商国側へ参加。

大戦景気
戦争によって欧州諸国の生産力が低下し、日本は輸出を拡大した。
・重化学工業が発展
・貿易黒字の拡大
・企業の成長(財閥の拡大)
1915 中国の(袁世凱)政府に(二十一ヶ条)の要求を行いました。
日本の権益を拡大するもので中国の抗日の動きが強まりました。

確認

 

吉野作造が(民本)主義を唱えました。
・主権は天皇にある前提を維持
・政治は民意を基礎とすべきと主張
→民主主義とは異なり立憲体制内の改革思想

普通選挙運動
選挙権の拡大を求める運動が活発化した。

社会不安の爆発(民衆の登場)

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(寺内正毅)内閣

寺内正毅 via Wikimedia Commons

1916年10月~1918年9月(大正5年~7年) 与党 -

1917 (ロシア)革命でロマノフ王朝が倒れ(レーニン)のソビエト政権が誕生しました。
1918 (ロシア)革命に干渉するために(シベリア)出兵を行いました。
シベリア出兵で()価格が上がり()騒動が起こりました。
原因:
・米の買い占め・投機
・需要増加(大戦景気)
・シベリア出兵による影響
→単一原因ではなく複合的要因

確認

政党政治の成立(大正デモクラシーの中心)

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(原敬)
内閣

原敬 via Wikimedia Commons

1918年9月~1921年11月(大正7年~10年) 与党 立憲政友会

原敬は(立憲政友会)の総裁で(平民)宰相と呼ばれました。
選挙権の納税資格を(10)円以上から(3)円以上に下げました。
関東州の(関東都督府)を廃止し関東庁(行政)と関東軍(軍事)に分けた。
原敬が暗殺されて総辞職しました。
・本格的な政党内閣
・衆議院多数派を基盤とする政治
主な政策
・地方自治の拡大
・選挙制度の拡張(制限は残る)

確認

 

1919 (パリ講和)会議で(ヴェルサイユ)条約が調印されました。
(全権:西園寺公望)
民族自決の原則等が認められました。
・原則として提唱されたが
・アジア・植民地にはほぼ適用されず
→日本の山東権益は維持された
→1919 朝鮮で三・一運動が起こりました。
→1919 中国で五・四運動が起こりました。

1920 (国際連盟)が設立されました。
アメリカの(ウィルソン)大統領の提唱ですが、アメリカは加盟しませんでした。
常任理事国は、イギリス、フランス、イタリア、日本です。

国際協調の時代(戦後秩序)

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(高橋是清)内閣

高橋是清 via Wikimedia Commons

1921年11月~1922年6月(大正10年~11年) 与党 立憲政友会

軍縮と緊縮政策を行いました。

(ワシントン)会議(全権:加藤友三郎、幣原喜重郎)
四カ国条約(英米仏日)、日英同盟は破棄されました。
九カ国条約 中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等を原則として確認したが、既存の列強の権益は維持された。
海軍軍縮条約 主力艦の建造を10年禁止するとしました。
主力艦の保有比率を英米5、日(3)、仏伊1.67としました。
この国際的な体制は(ワシントン)体制と呼ばれます。

確認

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(加藤友三郎)
内閣

加藤友三郎 via Wikimedia Commons

1922年6月~1923年9月(大正11年~12年) 与党 立憲政友会

軍縮と(シベリア)撤兵を行いました。

確認

政党政治 vs 非政党(最終調整期)

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第二次
(山本権兵衛)内閣

山本権兵衛 via Wikimedia Commons

1923年9月~1924年1月(大正12年~13年) 与党なしの超然内閣

1923.9.1 に関東大震災が起こりました。

(虎ノ門)事件で総辞職しました。

確認

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(清浦奎吾)内閣

清浦奎吾 via Wikimedia Commons

1924年1月~1924年6月(大正13年~13年) 与党なしの超然内閣

貴族院の勢力を基盤として成立した内閣です。

憲政会、立憲政友会、革新倶楽部は、(護憲)三派を結成し、
普選断行、貴族院改革、行財政整理をスローガンとして(第二次護憲)運動が起こりました。

確認

政党政治の完成と限界

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(加藤高明)内閣

加藤高明 via Wikimedia Commons

1924年6月~1926年1月(大正13年~15年) 与党 憲政会

当初(護憲三派)(憲政会・立憲政友会・革新倶楽部)の連立内閣として発足しました。途中から憲政会単独になりました。

(普通選挙)法の成立。納税資格を撤廃しました。ただし25歳以上の男性のみで女性の参政権は認められませんでした。
・納税資格の撤廃
・25歳以上の男性に選挙権
→女性は対象外

確認

 

1925 (治安維持)法が成立しました。
外務大臣に幣原喜重郎が就任し協調路線をとりました(幣原外交)と呼ばれます。
・社会主義・共産主義運動の取り締まり
→政治的自由の制限強化

1925 (日ソ基本)条約を結びました。

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