日本史の流れの概要(大正)

日本史の流れの大正時代の概要です。

目次

大正時代 内閣
  第一次世界大戦とその後

内閣

大正時代の内閣です。

第三次
桂太郎内閣
1912年12月~1913年2月(大正元年~2年)
(第一次護憲)運動が起こり53日で総辞職しました。
(大正)政変と呼ばれます。
立憲政友会の(尾崎行雄)と立憲国民党の(犬養毅)が中心。
閥族打破・憲政擁護がスローガンです。

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第一次
山本権兵衛内閣
1913年2月~1914年4月(大正2年~3年)
(軍部大臣現役武官)制を改正しました。
(予備・退役の大将と中将まで大臣に任命できるとした)
文官任用令を改正しました。
(シーメンス)事件で総辞職しました。
 
第二次
大隈重信内閣
1914年4月~1916年10月(大正3年~5年)
(第一次世界)大戦が起こる。
日本は中国山東省の(青島)を占領とドイツ領の南洋諸島を占領。
大戦景気で()景気となりました。
吉野作造が(民本)主義を唱えました。
→大正デモクラシーの気運が高まりました。

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寺内正毅内閣 1916年10月~1918年9月(大正5年~7年)
(ロシア)革命に干渉するために(シベリア)出兵を行いました。
(ロシア)革命でロマノフ王朝が倒れ(レーニン)のソビエト政権が誕生しました。
シベリア出兵で()価格が上がり()騒動が起こりました。
 
原敬内閣 1918年9月~1921年11月(大正7年~10年)
原敬は(立憲政友会)の総裁で(平民)宰相と呼ばれました。
選挙権の納税資格を(10)円以上から(3)円以上に下げました。
中国の(関東都督府)を廃止し関東庁(民政)と関東軍(軍事)に分けた。
原敬が暗殺されて総辞職しました。

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高橋是清内閣 1921年11月~1922年6月(大正10年~11年)
軍縮と緊縮政策を行った。
 
加藤友三郎内閣 1922年6月~1923年9月(大正11年~12年)
軍縮と(シベリア)撤兵を行った。

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第二次
山本権兵衛内閣
1923年9月~1924年1月(大正12年~13年)
1923年9月1日に関東大震災が起こる。
(虎ノ門)事件で総辞職しました。
 
清浦奎吾内閣 1924年1月~1924年6月(大正13年~13年)
貴族院の勢力が基盤であった。
→(第二次護憲)運動が起こる。
憲政会、立憲政友会、革新倶楽部が(護憲)三派を結成し、
普選断行、貴族院改革、行財政整理をスローガンとした。

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加藤高明内閣 1924年6月~1926年1月(大正13年~15年)
憲政会の単独内閣。(護憲三派)内閣と呼ばれる。
(普通選挙)法の成立。納税資格を撤廃しました。25歳以上の男性のみ。女性の参政権は認められませんでした。
(治安維持)法の成立。
外務大臣に幣原喜重郎が就任し協調路線をとった(幣原外交)。
→(日ソ基本)条約を結ぶ。
 

第一次世界大戦とその後

第一次世界大戦とその後の概要です。

1914年6月
(大正3年)
サラエボ事件
(オーストリア)皇太子がセルビア人青年に暗殺されました。

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1914年7月~
1918年11月
(大正3年~
7年)
第一次世界大戦
ドイツなどの同盟国とイギリスなどの連合国の戦い。
ドイツ・(オーストリア)・(イタリア)の三国(同盟)と
イギリス・(フランス)・(ロシア)の三国(協商)の対立がありました。
日本は(日英)同盟もあり連合国側で参戦しました。
連合国側が勝利しました。
 
1919年1月
(大正8年)
パリ講和会議
(ベルサイユ)条約で日本は中国(山東)省の旧ドイツ権益とドイツ領の南洋諸島の委任統治権を獲得した。
この国際的な体制は(ベルサイユ)体制と呼ばれます。
日本の全権は西園寺公望らです。
民族自決の原則が認められました。

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1919年3月
(大正8年)
三・一独立運動
(朝鮮)で反日運動が起こる。
朝鮮総督府が弾圧した。
 
1919年5月
(大正8年)
五・四運動
(中国)で反日運動が起こる。

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1920年
(大正9年)
(国際)連盟成立
アメリカの(ウィルソン)大統領の提唱。
常任理事国は、イギリス、フランス、イタリア、日本。
アメリカは国際連盟に参加しなかった。
 
1921年11月~
1922年2月
(大正10年~
11年)
ワシントン会議
日英同盟は廃棄されました。
海軍軍縮条約で(主力)艦の保有の比率を米英が(5)、日本(3)、仏・伊を(1.67)としました。
この国際的な体制を(ワシントン)体制と呼ばれます。
全権は、加藤友三郎、幣原喜重郎らです。

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