日本史の流れの概要(平安時代)

日本史の流れの平安時代の概要です。

概要 平安時代
  宗教・文化

平安時代

794年 (桓武)天皇(50代)が(平安)京へ遷都を行いました。

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810年
(二所朝廷)
(薬子(くすこ))の変(平城(へいぜい)上皇の変)
(嵯峨)天皇(52代)(弟)と平城上皇(兄)の争いです。
平城上皇は出家しました。
藤原(冬嗣)は、(嵯峨)天皇から蔵人頭に任命されました。

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嵯峨天皇像(御物)/Wikipediaより引用

 
842年
(藤原氏の時代)
(承和(じょうわ))の変
藤原(良房)(北家)は、有力氏族を排斥しました。
藤原(良房)の父は藤原冬嗣です。

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藤原良房(菊池容斎画『前賢故実』より)/Wikipediaより引用

 
866年 (応天門)の変
この事件をきっかけとして藤原(良房)が正式に(摂政)になりました。
藤原(北家)の力が強まりました。

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  藤原良房の養子の藤原(基経)は、(関白)になりました。

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藤原北家(ふじはらほっけ)

 
894年 (菅原道真)は遣唐使を廃止しました。

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939年~941年 (承平天慶)の乱
(平将門)の乱(承平の乱)
東国で平将門が反乱を起こしましたが政府によって平定されました。

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  (藤原純友)の乱 (天慶の乱)
西国で藤原純友が反乱を起こしましたが政府によって平定されました。

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969年 (安和)の変
左大臣源高明が失脚させられました。

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1016年 藤原(道長)が(摂政)になりました。
藤原(道長)の4人の娘を天皇、皇太子の妃にしました。
藤原(道長)の以下の和歌は有名です。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」

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Fujiwaranomichinaga/Wikipediaより引用

 
1051年~1062年
(武士の台頭)
(前九年)の役
東北地方で安倍氏が反乱を起こしましたが(源頼義)によって平定されました。

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1053年 藤原(頼通)(道長の子)が(平等院鳳凰堂)を建てました。
10円硬貨のデザインになっています。

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鳳凰堂(南東からの全景)
Martin Falbisoner, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 
1083年~1087年 (後三年)の役
清原氏の内紛で(源義家)は清原清衡を助けました。
以後、清原清衡は(藤原)清衡に名前を変え、(奥州藤原)氏として平泉で栄えました。

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1086年 (白河)上皇が院政をはじめました。
子の73代堀河天皇、孫の第74代鳥羽天皇、曾孫の第75代崇徳天皇の3代にわたる43年間です。(治天の君)と呼ばれます。
院の軍として北面の武士が創設されました。
上皇の思うようにならないこととして天下三不如意が有名です。
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」

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白河院御影、白河法皇像(成菩提院御影)/Wikipediaより引用

 
1129年 白河法皇が亡くなり、鳥羽上皇が院政をはじめました。  
1156年 (保元)の乱
(後白河)天皇(77代)、藤原忠通、(源義朝)、(平清盛) 対
(崇徳)上皇、藤原頼長、源為義、平忠正の戦いで後白河天皇方が勝利しました。武士の影響力が強まりました。

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1159年 (平治)の乱
(源義朝)と藤原信頼は挙兵したが(平清盛)に平定されました。
(平清盛)の影響力が強まりました。

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1167年 (平清盛)が(太政)大臣になりました。
平氏一門は栄えました。平時忠の以下の文言は有名です。
「平家にあらずんば人にあらず」

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『芳年武者旡類(よしとしむしゃぶるい) 平相国清盛(たいらしょうこくきよもり)』/Wikipediaより引用

 
1180年~1185年 (治承・寿永)の乱(源平合戦とも呼ばれます)
平氏政権に対する反乱です。後白河法皇の子の(以仁王)の挙兵がきっかけです。
1184 (一の谷)の戦いでは(源義経)が崖から馬で下りて奇襲しました。鵯越(ひよどりごえ)の逆落としと呼ばれます。
1185 (壇ノ浦)の戦いで平氏は滅亡しました。

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宗教・文化

宗教 (最澄)(伝教大師)が(天台)宗を開く
比叡山(延暦寺)を建てました。

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最澄像 平安時代/Wikipediaより引用

 
  (空海)(弘法大師)が(真言)宗を開く
弘法にも筆の誤り

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空海の肖像(真如様大師)/Wikipediaより引用

 
文化 平安初期 (竹取)物語。作者不明。竹の中からかぐや姫が生まれ帝に求婚されるも月に戻っていった話。  
  905年 (古今)和歌集。(紀貫之)ら編纂

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  (枕草子)。清少納言。日本三大随筆の一つ。
「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」

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  (源氏物語)。紫式部。主人公は光源氏(男)。平安時代の物語。

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土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。/Wikipediaより引用

 
  1124年 (中尊寺金色堂)を奥州藤原氏の藤原清衡が建立。

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屋外に再現された金色堂 (えさし藤原の郷)
tak1701d, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 
(鳥獣戯画)
国宝

鳥獣人物戯画 /Wikipediaより引用

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※鎌倉時代 平家物語。平家の栄華と没落の記述あり。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
 

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