目次
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遷都と律令国家の再編(8世紀末〜9世紀初)
中央集権の立て直し(奈良仏教からの脱却)
| 794年 | (桓武)天皇(50代)が(平安)京へ遷都を行いました。 |
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| 810年 (二所朝廷) |
(薬子(くすこ))の変(平城(へいぜい)上皇が復権を狙った政変) (嵯峨)天皇(52代)(弟)と平城上皇(兄)の争いです。 平城上皇は出家しました。 藤原(冬嗣)は、(嵯峨)天皇から蔵人頭に任命されました。 |
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嵯峨天皇像(御物)/Wikipediaより引用 |
摂関政治の成立(9世紀後半〜10世紀)
藤原氏による権力独占
摂関政治とは、天皇の外戚(母方の親族)である藤原氏が摂政・関白として政治を行う仕組みです。
→娘を天皇に嫁がせることで権力を独占しました。
| 842年 (藤原氏の時代) |
(承和(じょうわ))の変 藤原(良房)が皇太子争いに介入し、他氏を排除して権力基盤を固めました。(藤原(北家)台頭の出発点) 藤原(良房)の父は藤原冬嗣です。 |
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藤原良房(菊池容斎画『前賢故実』より)/Wikipediaより引用 |
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| 857年 | 藤原良房が人臣初の太政大臣になる。 | |
| 866年 | (応天門)の変 この事件をきっかけとして藤原(良房)は、天皇の補佐として人臣初の摂政に就任しました。 藤原(良房)が他氏(伴氏・紀氏)を排除し、藤原(北家)による政権独占が確立しました。 |
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| 藤原良房の養子の藤原(基経)は、(関白)になりました。 |
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| 894年 | (菅原道真)は遣唐使を廃止しました。 |
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| 907年 | 中国の唐が滅びました。 | |
| 935年 | 朝鮮半島の新羅が滅びました。 | |
| 936年 | 高麗が朝鮮半島を統一しました。 |
地方の変化と武士の登場(10世紀)
・荘園の増加 → 朝廷の支配弱体化
・地方豪族が武装 → 武士へ
| 935年~941年 | 承平天慶の乱 = 平将門の乱(承平の乱) + 藤原純友の乱(天慶の乱) | |
| 935年~940年 | (平将門)の乱(承平の乱) 東国で平将門が反乱を起こしましたが政府によって平定されました。 |
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| 939年~941年 | (藤原純友)の乱 (天慶の乱) 西国で藤原純友が反乱を起こしましたが政府によって平定されました。 |
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| 960年 | 宋が中国を統一しました。 | |
| 969年 | (安和)の変 左大臣源高明が失脚させられました。 |
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| 1016年 | 藤原(道長)が(摂政)になりました。 藤原(道長)は4人の娘を天皇、皇太子の妃にしました。 藤原(道長)の以下の和歌は有名です。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」 |
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Fujiwaranomichinaga/Wikipediaより引用 |
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| 1019年 | 刀伊(とい)の入寇。 刀伊(女真人)が対馬、壱岐、筑前を襲いましたが撃退しました。 |
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| 1051年~1062年 (武士の台頭) |
(前九年)の役 東北地方で安倍氏が反乱を起こしましたが(源頼義)によって平定されました。 |
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| 1053年 | 藤原(頼通)(道長の子)が(平等院鳳凰堂)を建てました。 10円硬貨のデザインになっています。 |
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鳳凰堂(南東からの全景) |
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| 1069年 | 後三条天皇が荘園整理令を出し不法な荘園を禁止しました。 摂関家は打撃を受けました。 |
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| 1083年~1087年 | (後三年)の役 清原氏の内紛で(源義家)は清原清衡を助けました。 以後、清原清衡は(藤原)清衡に名前を変え、(奥州藤原)氏として平泉で栄えました。 |
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院政の開始(11世紀後半〜12世紀前半)
天皇による権力奪還(藤原氏対抗)
上皇が院庁から政治を行うことで藤原氏の権力を抑えました。
| 1086年 | (白河)上皇が院政をはじめました。 子の73代堀河天皇、孫の第74代鳥羽天皇、曾孫の第75代崇徳天皇の3代にわたる43年間です。(治天の君)と呼ばれます。 院の軍として北面の武士が創設されました。 上皇の思うようにならないこととして天下三不如意が有名です。 「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」 |
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白河院御影、白河法皇像(成菩提院御影)/Wikipediaより引用 ※上皇が出家すると法皇になります。 |
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| 1129年 | 白河法皇が亡くなり、鳥羽上皇が院政をはじめました。 |
武士政権への移行(12世紀後半)
保元の乱、平治の乱を通じて武士が政治の主導権を握りました。
| 1156年 | (保元)の乱 皇位継承問題と摂関家の内紛から起こりました。 (後白河)天皇(77代)、藤原忠通、(源義朝)、(平清盛) 対 (崇徳)上皇、藤原頼長、源為義、平忠正の戦いで後白河天皇方が勝利しました。武士の影響力が強まりました。 |
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| 1159年 | (平治)の乱 (源義朝)と藤原信頼は挙兵したが(平清盛)に平定されました。 (平清盛)の影響力が強まりました。 |
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| 1167年 | (平清盛)が(太政)大臣になりました。 平氏一門は栄えました。平時忠の以下の文言は有名です。 「平家にあらずんば人にあらず」 |
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『芳年武者旡類(よしとしむしゃぶるい) 平相国清盛(たいらしょうこくきよもり)』/Wikipediaより引用 |
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| 1180年 | (治承・寿永)の乱(源平合戦とも呼ばれます) 平氏政権に対する反乱です。 1180 後白河法皇の子の(以仁王)が挙兵しました。 源頼朝も伊豆で挙兵しましたが敗れて安房国(現在の千葉県)に逃れました。 |
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| 1181年 | 平清盛が死去 | |
| 1183年 | 信濃の源義仲が平氏を京から追放しました。 | |
| 1184年 | 源義経が源義仲を近江で破りました。 (一の谷)の戦いでは(源義経)が崖から馬で下りて奇襲しました。 鵯越(ひよどりごえ)の逆落としと呼ばれます。 |
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| 1185年 | 長門の(壇ノ浦)の戦いで平氏は滅亡しました。 |
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国風文化
本質は、文化+貴族で日本独自文化の成熟期
| 宗教 | (最澄)(伝教大師)が(天台)宗を開く 比叡山(延暦寺)を建てました。 |
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最澄像 平安時代/Wikipediaより引用 |
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| (空海)(弘法大師)が(真言)宗を開く 「弘法にも筆の誤り」 どんなに優れた人であっても失敗はあるというたとえです。 |
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空海の肖像(真如様大師)/Wikipediaより引用 |
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| 文化 | かな文字が成立しました。 | |
| 800〜900年代 | 平安初期 (竹取)物語。作者不明。竹の中からかぐや姫が生まれ帝に求婚されるも月に戻っていった話。 | |
| 905年 | (古今)和歌集。(紀貫之)ら編纂 |
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| 1001年頃 | (枕草子)。清少納言。日本三大随筆の一つ。 「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」 随筆は、筆者の体験を元に感想を書き綴ったものです。 |
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| 1000年〜1008年頃 | (源氏物語)。紫式部。主人公は光源氏(男)。平安時代の物語。 |
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![]() 土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。/Wikipediaより引用 |
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| 1124年 | (中尊寺金色堂)を奥州藤原氏の藤原清衡が建立。 |
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![]() 屋外に再現された金色堂 (えさし藤原の郷) |
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| 平安末期〜鎌倉初期 (鳥獣戯画) 国宝 |
鳥獣人物戯画 /Wikipediaより引用 |
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| ※鎌倉時代前半(13世紀初め頃)に成立 | 平家物語。平家の栄華と没落の記述あり。 「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」 |
平安時代の天皇
| 50 | 桓武天皇 | 都を平安京に遷都した。 |
| 51 | 平城天皇 | |
| 52 | 嵯峨天皇 | 平城上皇(兄)と争い(薬子の変) |
| 53 | 淳和天皇 | |
| 54 | 仁明天皇 | |
| 55 | 文徳天皇 | |
| 56 | 清和天皇 | |
| 57 | 陽成天皇 | |
| 58 | 光孝天皇 | |
| 59 | 宇多天皇 | |
| 60 | 醍醐天皇 | |
| 61 | 朱雀天皇 | |
| 62 | 村上天皇 | |
| 63 | 冷泉天皇 | |
| 64 | 円融天皇 | |
| 65 | 花山天皇 | |
| 66 | 一条天皇 | |
| 67 | 三条天皇 | |
| 68 | 後一条天皇 | |
| 69 | 後朱雀天皇 | |
| 70 | 後冷泉天皇 | |
| 71 | 後三条天皇 | |
| 72 | 白河天皇 | 上皇になり院政を行う。治天の君と呼ばれます。 |
| 73 | 堀河天皇 | 白河天皇の子。 |
| 74 | 鳥羽天皇 | 白河天皇の孫。 |
| 75 | 崇徳天皇 | 白河天皇の曾孫。保元の乱で破れる。 |
| 76 | 近衛天皇 | |
| 77 | 後白河天皇 | 保元の乱で勝つ。譲位後は34年にわたり院政を行う。 |
| 78 | 二条天皇 | |
| 79 | 六条天皇 | |
| 80 | 高倉天皇 | |
| 81 | 安徳天皇 | |
| 82 | 後鳥羽天皇 | 承久の乱。後鳥羽上皇が倒幕の兵を上げたが幕府側2代目北条義時に敗れる。 |
藤原北家
| 1 | 藤原房前 | 北家の祖 |
| 2 | 藤原冬嗣 | 嵯峨天皇の側近、蔵人頭 |
| 3 | 藤原良房 | 承和の変で有力氏族を排斥する 応天門の変で人臣初の摂政(866年) |
| 4 | 藤原基経 | 初の関白(884年) |
| 5 | 藤原時平 | 菅原道真を左遷 |
| 6 | 藤原忠平 | 時平の弟 摂政・関白を兼任 |
| 7 | 藤原師輔 | 忠平の次男 |
| 8 | 藤原兼家 | 師輔の三男、摂政 |
| 9 | 藤原道長 | 摂政になる。4人の娘を天皇、皇太子の妃にする。 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」 |
| 10 | 藤原頼通 | 平等院鳳凰堂を建てる |
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