日本史の流れの概要(徳川家康の時代)

日本史の流れの概要、徳川家康の時代です。

徳川家康 徳川家康の戦い
  実施した政策・その他

徳川家康の戦い

1598年
(慶長3年)
豊臣秀吉死去  
1600年
(慶長5年)
(関ヶ原)の戦い(岐阜県)
徳川家康(東軍)が石田三成(西軍)を破りました。
豊臣家は220万石から65万石に減封、
徳川家は220万石から400万石になりました。
1603年徳川家康は(征夷大将軍)になり江戸幕府を開きました。
1605年徳川家康は征夷大将軍の座を子の(秀忠)に譲り(大御所)になりました。
1607年徳川家康は駿府城(静岡県)に移りました。

確認

   
1614年
(慶長19年)
(大阪冬の陣)
方広寺鐘銘事件をきっかけに豊臣家と徳川家の対立が深まりました。
豊臣方は大阪城に大量の牢人を入れ、徳川家康は大阪城を包囲しました。
城の外堀を埋めることを条件に講和が結ばれましたが、城の内堀まで埋められてしまいました。

確認

   
1615年
(慶長20年)
(大阪夏の陣)
大阪城は落城し豊臣家は滅亡しました。
徳川家に対抗できる大名はいなくなりました。
平和の時代が来たという意味で(元和偃武げんなえんぶ)と呼ばれます。

確認

   
1616年
(元和2年)
徳川家康死去
栃木県の日光東照宮は徳川家康を主祭神として祀っています。
 

実施した政策・その他

(武家諸法度) 1615年(元和元年)
諸大名を統制するための法です。
元和5年広島城主の福島正則が無断で城を修繕したとして武家諸法度違反に問われ、50万石から川中島4万石に減封されました。

確認

禁中並公家諸法度 1615年(元和元年)
天皇、公家に対する規制の法です。
 
領地 幕府は400万石の(天領)と300万石の(旗本領)を持っていました。  
大老 非常時のみに置かれました。

確認

(老中) 最高職として幕政を行いました。  
若年寄 老中を補佐します。  
京都所司代 京都の治安維持の任務を行いました。  
(三奉行) 寺社奉行、町奉行、勘定奉行を指します。

確認

旗本 家臣団。将軍に謁見できます。(約5,000人)
1万石未満です。1万石以上は大名と呼ばれます。
 
御家人 家臣団。将軍に謁見できません。(約1万7,000人)  
親藩(しんぱん) 徳川家一門
水戸、尾張、紀伊の御三家
田安、一橋、清水の御三卿
 
譜代(ふだい) 三河時代からの家臣
井伊、酒井、本多など
 
外様(とざま) 関ヶ原の戦い以降の家臣
島津、毛利など
 
南蛮人 ポルトガル人、スペイン人  
紅毛人 イギリス人、オランダ人
ウィリアム・アダムス(三浦按針)・・・徳川家康に外交顧問として仕えました。
 

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