日本史の流れの概要(太平洋戦争)

日本史の流れの概要(太平洋戦争)です。

真珠湾攻撃

アメリカの対日石油輸出禁止やハル・ノートで追い詰められた日本は開戦を決定しました。
1941年11月26日に日本の部隊は択捉島からハワイに向かい始めました。
12月2日、進撃中の部隊に対し「ニイタカヤマノボレ1208」(攻撃をせよという命令)を打電しました。
12月8日に真珠湾を攻撃しアメリカの太平洋艦隊の戦艦4隻が沈没しました。
攻撃開始後「トラ・トラ・トラ」(我、奇襲に成功せり)と打電しました。
攻撃の発案者は連合艦隊司令長官の山本五十六大将でした。

マレー作戦、シンガポールの戦い

1941年12月8日、真珠湾攻撃後に作戦が開始されました。
マレー半島から上陸して南下しシンガポールを攻略する作戦です。
12月10日は、イギリスの東洋艦隊とマレー沖開戦を行い日本は勝利しました。
1942年2月にシンガポールのイギリス軍は降伏しました。

フィリピンの戦い

1941年12月8日、フィリピンの連合国軍に対して戦闘を開始しました。
1942年6月に連合国軍の部隊は降伏して戦闘は終了しました。

ビルマの戦い

1942年1月、攻撃を開始しました。援蒋ルートを遮断する等の目的がありました。
1942年3月、ラングーンを占拠しました。

蘭印作戦

蘭とはオランダを指しオランダの植民地(オランダ領東インド)でした。
この地域は油田地帯がありました。
1942年2月に攻撃を開始しました。
1942年3月10日蘭印軍は降伏しました。

ミッドウェー海戦

1942年6月、ミッドウェー島の攻略を目指す日本海軍とアメリカ海軍の戦闘です。
日本海軍は空母4隻(加賀、蒼龍、赤城、飛龍)と多くの戦闘機を失いました。
日本海軍にとって大ダメージです。

ガダルカナル島の戦い

ラバウルには、日本軍の一大拠点がありさらに南にも進出しようとしました。
1942年8月からガダルカナル島を巡り日本と連合国軍が戦いましたが
日本軍は多数の戦死者と餓死者を出して撤退しました。

ニューギニアの戦い

1942年3月から終戦の1945年8月15日まで戦いは続きました。
日本軍は多数の戦死者、餓死者を出しました。

インパール作戦

1944年3月、日本軍がインドのインパール攻略を行う作戦です。
しかし、補給のない状況が続き多数の餓死者を出しました。
史上最悪の作戦と呼ばれています。

マリアナ沖海戦

1944年6月の日本軍と米軍の戦いです。
日本軍は、空母3隻(大鳳、翔鶴、飛鷹)を失い完敗しました。

サイパンの戦い

1944年6月、米軍がサイパンに上陸しました。
日本軍は壊滅しました。
B-29爆撃機による日本本土空襲が可能になりました。
東条英機内閣は総辞職しました。

レイテ沖海戦

1944年10月、フィリピン奪還を目指すアメリカ軍と日本軍の戦闘です。
日本海軍は壊滅的な打撃を受けました。

硫黄島の戦い

1945年2月、アメリカ軍が硫黄島に上陸し3月に米軍が占領しました。
日本軍、米軍ともに多数の戦死者がでました。

沖縄の戦い

1945年4月、米軍が沖縄に上陸し6月23日に終了しました。
多数の兵士と県民が犠牲になりました。

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