日本史の流れの概要(織田信長の時代)

日本史の流れの概要、織田信長の時代です。

織田信長 織田信長の誕生
  織田信長の戦い
  実施した政策・他関連

織田信長の誕生

1534年(天文3年) 尾張国(現在の愛知県)で織田信秀の嫡男として誕生しました。
幼名は吉法師(きっぽうし)です。
父親の葬儀で位牌に焼香を投げるなど大うつけ呼ばれていました。
 
 

 

織田信長の戦い

1560年 桶狭間(おけはざま)の戦い
織田信長率いる約3000の軍勢は、京都へ上洛する今川義元の約2万5000以上の軍勢に奇襲し破りました。
その後織田家は台頭し今川家は弱体化していきました。
 
   
1567年 稲葉山城の戦い
斎藤龍興を破り稲葉山城を岐阜城と改名し居城としました。
天下布武の印判の使用を始めました。
 
   
1568年 足利義昭を奉じて入京しました。
足利義昭は室町幕府の第15代将軍になりました。
 
   
1570年 金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)
織田信長軍が越前の朝倉義景を攻めたところ、織田信長の妹婿の浅井長政が裏切り織田信長軍は撤退しました。
殿(しんがり)は木下藤吉郎(豊臣秀吉)でした。
織田信長が逃げたルートは朽木越え(くちきごえ)と呼ばれます。
 
   
1570年 姉川の戦い
織田信長と徳川家康の連合軍(約2万人)対浅井長政と朝倉義景の連合軍(約1万5千人)の戦いで
織田信長・徳川家康連合軍が勝利しました。
 
   
1570~1580年 石山本願寺の顕如と戦いました。石山戦争(1570~1580年)と呼ばれます。各地の一向一揆とも戦いました。
1571年延暦寺を焼き打ちしました。
 
   
1573年 三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)
京都へ上洛する武田信玄と徳川家康・織田信長の戦い。
徳川家康・織田信長軍は敗退しましたが、武田信玄の病状悪化に伴い武田信玄軍は撤退しました。
 
   
1575年 長篠の戦い
織田信長・徳川家康連合軍は、鉄砲隊を用意し武田勝頼軍の騎馬隊に勝利しました。
 
   
1582年 天目山の戦い
織田信長軍は武田氏を滅ぼしました。
 
   
1582年 本能寺の変
織田信長は、明智光秀の謀反により自害しました。
 
   

実施した政策・他関連

楽市・楽座 商人の特権を廃止しました。  
関所 関所を廃止し行き来を自由にしました。  
堺から自治権を奪いました。  
幸若舞の敦盛の一節 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 

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