日本史の流れの概要(奈良時代)

日本史の流れの奈良時代の概要です。

概要 奈良時代
  天平文化

奈良時代

710年 (元明)天皇(43代)が(藤原)京から(平城)京へ遷都を行いました。
794年に平安京に移るまでを奈良時代といいます。

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平城京 条坊図/Wikipediaより引用

 
  平城京は唐の(長安)をモデルにしました。
中央に(朱雀大路(すざくおおじ))があり、東側に左京、西側に右京があります。
北東に(東大寺)があります。

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藤原氏 平城京遷都は藤原(不比等)の影響がありました。
藤原不比等の父は藤原(鎌足(かまたり))です。
藤原不比等の娘の藤原(宮子)は(文武)天皇(42代)の夫人になりました。
そして首皇子(後の(聖武)天皇(45代))が生まれました。
さらに藤原不比等は娘の(光明子)を(聖武)天皇に嫁がせました。

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718年 藤原(不比等)が大宝律令を一部改定して(養老)律令を完成させました。(養老)律令は757年に実施されました。

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723年 (三世一身)法が発布されました。(未開地を開墾した場合、三代に渡り私有を認める、古い施設の場合は本人の一代のみ)

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藤原4兄弟 藤原不比等には4人の息子がいました。藤原4兄弟と呼ばれます。
藤原(武智麻呂(むちまろ))・・・藤原南家の始祖
藤原(房前(ふささき))・・・藤原(北家)の始祖
藤原(宇合(うまかい))・・・藤原式家の始祖
藤原(麻呂(まろ))・・・藤原京家の始祖

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729年 (長屋王)の変
長屋王は天武天皇(40代)の孫で実力者でした。
藤原不比等の死後、藤原4兄弟は藤原不比等の娘の(光明子)を夫人から皇后にしようとしましたが長屋王に反対されました。
729年に長屋王は謀反の疑いを掛けられ自死させられました。((長屋王)の変)
光明子は、(聖武)天皇(45代)の皇后(光明皇后)になり藤原氏は権力を得ました。

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1897年(明治30年)3月、下村観山によって描かれた『光明皇后』/Wikipediaより引用

 
737年 天然痘の流行
天然痘が流行し藤原4兄弟は疫病で死んでしまいました。
その後、(橘諸兄)が右大臣になりました。
(吉備真備)、玄昉が補佐役となりました。

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740年 藤原(広嗣)の乱
藤原(宇合(うまかい))の子の(広嗣)が九州で反乱を起こしましたが朝廷側によって鎮圧されました。

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  聖武天皇(45代)は、(恭仁(くに))京に遷都しました。
744年には、(難波)宮、そして(紫香楽宮)に遷都しました。

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聖武天皇像(鎌倉時代、13世紀、御物)/Wikipediaより引用

 
741年 聖武天皇は、(国分寺建立)の詔を出しました。
国ごとに(国分)寺と(国分尼)寺を作ることになりました。

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743年 (墾田永年私財法)施行
未開地を開墾した場合、永代に渡り私有を認めるものです。
それまでは土地はすべて国家のものでした。(公地公民制)
有力な貴族や寺社や地方豪族は開墾を行い私有地としました。
初期(荘園)と呼ばれます。

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  10世紀以降は有力農民が開拓した土地を寺社や貴族に寄付する(寄進地系荘園)が主流になりました。以下のメリットがあります。
(不入)の権・・・国司の荘園への立ち入りを拒否できる。
(不輸)の権・・・租税が免除される。

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  (聖武)天皇は、(大仏建立)の詔を発布しました。
大仏は、752年に完成しました。完成時は(大仏開眼)供養が行われました。奈良の大仏です。

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Daibutsu of Todaiji
Mafue, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 
745年 聖武天皇は、平城京に遷都しました。

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757年 (橘奈良麻呂)の変
(橘奈良麻呂)(橘諸兄の子)が反乱を起こしましたが藤原仲麻呂側に鎮圧されました。

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764年 (恵美押勝)の乱
藤原仲麻呂(恵美押勝)は反乱を起こしましたが鎮圧されました。

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784年 桓武天皇(50代)は、(長岡)京に遷都しました。

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794年 桓武天皇は、(平安)京に遷都しました。

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天平文化

  710年 (古事記)が元明天皇(43代)に献上されました。
歴史書です。太安万侶が編纂しました。

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  720年 (日本書紀)が完成しました。歴史書です。
舎人親王らが完成させました。
古事記と合わせて記紀と呼ばれます。

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  759年 (鑑真(がんじん))が(唐招提)寺を建立しました。
(鑑真)は、唐から日本に来ました。

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唐招提寺に安置されている国宝「鑑真和上像」/Wikipediaより引用

 
唐招提寺(金堂)
国宝

金堂 663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

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  南都七大寺(なんとしちだいじ)が権勢を誇りました。
(東大)寺、(興福)寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺

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興福寺
(阿修羅像)
国宝

阿修羅像(八部衆のうち)/Wikipediaより引用

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東大寺
(正倉院正倉)
国宝
(校倉)造

正倉院正倉 あずきごはん, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

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(鳥毛立女屏風(とりげ りつじょ のびょうぶ))

鳥毛立女屏風第4 部分/Wikipediaより引用
正倉院の宝物です。

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東大寺
(法華堂)
国宝

法華堂, Public domain, via Wikimedia Commons

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3

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