日本史の流れの概要(室町時代)

日本史の流れの室町時代の概要です。

室町時代

1334年 (建武)の新政
(後醍醐)天皇が親政を開始しましたが武士を軽視したため武士の不満が高まり2年後に足利尊氏との戦いに敗れ政権は崩壊しました。

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1338年
南北朝時代
(足利尊氏)が(征夷大将軍)になり、室町幕府を開きました。
(持明院)統の(光明)天皇から任じられました。(京都の北朝)
(大覚寺)統の(後醍醐)天皇は認めていません。(吉野の南朝)

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足利尊氏像(浄土寺蔵)/Wikipediaより引用

 
1349年 観応の擾乱(かんのうのじょうらん)
足利尊氏の執事の(高師直(こうのもろなお))と足利尊氏の弟の(直義(ただよし))の争い。
※執事とは将軍を補佐する役職です。

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1352年 (半済(はんぜい)令)
守護が年貢の半分を徴収することを認めました。

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1392年
南北朝合一
(足利義満)の仲介で南北朝がひとつになりました。

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足利義満像(鹿苑寺蔵)/Wikipediaより引用

 
1394年 足利義満が(太政)大臣になりました。

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1397年 (北山)文化
足利義満が(金閣寺(鹿苑寺))を建てました。

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金閣寺-舎利殿
Kakidai, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 
1404年 足利義満により(日明)貿易が始まりました。(勘合)貿易とも呼ばれます。
勘合とは合い札です。
対等貿易ではなく(朝貢)の形式でした。

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1428年 (正長)の土一揆(しょうちょうのどいっき)が起きました。
農民が蜂起しました。

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1441年 (嘉吉)の徳政一揆(かきつのとくせいいっき)が起きました。
農民が徳政令を求めました。

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1467年~1477年 応仁の乱
将軍家、管領家、守護大名等が西軍と東軍に分かれて戦いが長期に続きました。京都は荒廃し室町幕府は弱体化しました。
西軍:足利義政(8代将軍)の妻の(日野富子)の子の義尚、山名宗全(守護)、斯波義廉(管領家)、畠山義就(管領家)

東軍:足利義政(8代将軍)の弟の(義視)、細川勝元(管領)、斯波義敏(管領家)、畠山政長(管領家)
※管領とは将軍を補佐する役職です。斯波、細川、畠山のみが任命されていたので(三管領)と呼ばれます。

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1485年 (山城)の国一揆
山城の国人が畠山義就と政長の両軍を退去させ自治を行いました。

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1488年 (加賀)の一向一揆
一向衆徒らが国を支配しました。1580年まで続きました。

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1490年 (東山)文化
8代将軍の足利(義政)が(銀閣寺(慈照寺))を建てました。

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Ginkaku-ji (銀閣寺)
Oilstreet, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 
1493年 北条(早雲)が室町幕府の機関である伊豆の堀越公方を滅ぼしました。
最初の戦国大名といわれます。
戦国大名である武田信玄は1521年生まれ、上杉謙信は1530年生まれ、織田信長は1534年生まれです。

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1543年 種子島に(鉄砲)が伝わりました。
島主は種子島時堯でした。
 
1549年 (イエズス)会の(フランシスコ・ザビエル)がキリスト教を伝えました。

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フランシスコ・ザビエル肖像/Wikipediaより引用

 
1553年~1564年 (川中島)の戦い(5回)
上杉謙信と武田信玄の戦いです。決着はつきませんでした。
 
1560年 (桶狭間)の戦い
織田信長が今川義元を破りました。

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1573年 (織田信長)が足利(義昭)を追放し、室町幕府は滅亡しました。

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