日本史の流れの概要(飛鳥時代)

日本史の流れの飛鳥時代の概要です。

飛鳥時代

592年 (蘇我馬子)は、(推古)天皇を擁立しました。

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Empress Suiko 2/Wikipediaより引用

593年 (聖徳太子)が(推古)天皇の(摂政)になりました。
用明天皇の第二皇子で厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれます。
聖徳太子は、複数人(10人)の話を1度に聞いてそれぞれに解答したという話があります。
紙幣の肖像になっています。

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聖徳太子の肖像が描かれた一万円札/Wikipediaより引用

 
603年 (聖徳太子)が(冠位十二階)を制定しました。
位を12個に分け、世襲の氏姓に対してではなく、個人に対して与えたことが大きな点です。
位は、冠の色で識別できるようになっていました。
一番ランクの高い色は紫でした。

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604年 (聖徳太子)が(十七条の憲法)を制定しました。
第一条は有名です。「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」

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607年 聖徳太子が、(遣隋)使として(小野妹子)らを遣わしました。
隋の(煬帝)に出した国書の以下の部分は有名です。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」
煬帝は立腹したと言われています。
608年に答礼使として(裴世清)が来日しました。

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  聖徳太子が、(法隆)寺を建てました。
斑鳩寺(いかるがでら)とも呼ばれます。
ユネスコの世界遺産として登録されています。

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618年 ()が隋を滅ぼし中国を統一しました。

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630年 遣唐使として(犬上御田鍬(いぬがみのみたすき))らを遣わしました。

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645年 (乙巳(いっし))の変
(蘇我入鹿)は、(山背大兄王)(聖徳太子の子)を滅ぼしました。
(中大)兄皇子と(中臣鎌足(なかとみのかまたり))は、蘇我(蝦夷)と蘇我(入鹿)の父子を滅ぼしました。
中大兄皇子は後の(天智)天皇で、中臣鎌足は後の(藤原)鎌足です。

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Fujiwara-Kamatari/Wikipediaより引用

 

646年 (大化)の改新
(孝徳)天皇により改新の詔が出されました。

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663年 (白村江(はくすきのえ))の戦い
日本と(百済)対新羅と唐の戦いで、日本と(百済)の軍は大敗しました。

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667年 中大兄皇子は(近江大津宮)に遷都しました。
668年に中大兄皇子は即位して(天智)天皇になりました。

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Emperor Tenji (天智天皇, Tenji Tennō)/Wikipediaより引用

 

670年 (庚午年籍)が作成されました。
戸籍です。

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672年 (壬申)の乱
天智天皇の死後、(大海人)皇子(天智天皇の弟)と(大友)皇子(天智天皇の子)が対立。(大海人)皇子が勝利し、(天武)天皇になりました。
(飛鳥浄御原宮)に遷都しました。

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天武帝御影(大和国矢田山金剛寺蔵)/Wikipediaより引用

 

692年 (班田収授)法
6歳以上の男女に区分田を与え収穫物の一定割合を税として収めさせました。

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694年 (持統)天皇は(藤原)京に遷都しました。

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『御歴代百廿一天皇御尊影』より「持統天皇」/Wikipediaより引用

 

701年 (大宝)律令を制定しました。法律です。702年に施行しました。
藤原(不比等)らが携わりました。
藤原不比等の父は藤原(鎌足(かまたり))です。

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藤原不比等/Wikipediaより引用

 

708年 (和同開珎(わどうかいほう))が鋳造、発行されました。

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710年 (元明)天皇は(平城)京に遷都しました。

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元明天皇/Wikipediaより引用

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%99%82%E4%BB%A3

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