日本史の流れの概要(飛鳥時代)

日本の歴史の飛鳥時代です。

概要 飛鳥時代
  飛鳥時代の天皇
  蘇我氏
  藤原氏
  飛鳥・白鳳文化

飛鳥時代

527年 (磐井)の乱が起こりました。
筑紫国造の(磐井)が新羅と結んで反乱を起こしましたが鎮圧されました。

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538年 (仏教伝来)。百済の聖明王より仏教が伝わりました。
崇仏派の(蘇我稲目)と廃仏派の(物部尾輿)が対立するようになりました。

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587年 丁未の乱(ていびのらん)
崇仏派の(蘇我馬子)と廃仏派の(物部守屋)の戦いで物部氏が滅ぼされました。

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589年 隋が中国を統一。

592年 (蘇我馬子)は、(推古)天皇(33代)を擁立しました。

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Empress Suiko 2/Wikipediaより引用

 
593年 (聖徳太子)が(推古)天皇の(摂政)になりました。
用明天皇(31代)の第二皇子で厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれます。
聖徳太子は、複数人(10人)の話を1度に聞いてそれぞれに解答したという話があります。
紙幣の肖像になっています。

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聖徳太子の肖像が描かれた一万円札/Wikipediaより引用

 
603年 (聖徳太子)が(冠位十二階)を制定しました。
位を12個に分け、世襲の氏姓に対してではなく、個人に対して与えたことが特徴です。
位は、冠の色で識別できるようになっていて一番ランクの高い色は紫でした。紫→青→赤→黄→白→黒。

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604年 (聖徳太子)が(十七条の憲法)を制定しました。
第一条は有名です。
「和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」

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607年 聖徳太子が、(遣隋)使として(小野妹子)らを遣わしました。
隋の(煬帝)に出した国書の以下の部分は有名です。
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」
煬帝は立腹したと言われています。
608年に答礼使として(裴世清)が来日しました。

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618年 ()が隋を滅ぼし中国を統一しました。

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630年 遣唐使として(犬上御田鍬(いぬがみのみたすき))らを遣わしました。

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645年 (乙巳(いっし))の変
(蘇我入鹿)は、有力な皇位継承権者である(山背大兄王)(聖徳太子の子)を滅ぼしました。
→(中大)兄皇子と(中臣鎌足(なかとみのかまたり))は、蘇我(蝦夷)とその父の蘇我(入鹿)を滅ぼしました。
中大兄皇子は後の(天智)天皇で、中臣鎌足は後の(藤原)鎌足です。

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Fujiwara-Kamatari/Wikipediaより引用

 

646年 (大化)の改新
(孝徳)天皇(36代)により(改新の詔)が出されました。

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663年 (白村江(はくすきのえ))の戦い
日本と(百済)対(新羅)と唐の戦いで、日本と(百済)の軍は大敗しました。

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667年 中大兄皇子は(近江大津宮)に遷都しました。
668年に中大兄皇子は即位して(天智)天皇(38代)になりました。

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Emperor Tenji (天智天皇, Tenji Tennō)/Wikipediaより引用

 

668年 近江令制定。
新羅が高句麗を滅ぼす。

670年 (庚午年籍)が作成されました。
戸籍です。徴税と徴兵が目的です。

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672年 (壬申)の乱
天智天皇の死後、(大海人)皇子(天智天皇の弟)と(大友)皇子(天智天皇の子)が対立。(大海人)皇子が勝利し、(天武)天皇(40代)になりました。
(飛鳥浄御原宮)に遷都しました。

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天武帝御影(大和国矢田山金剛寺蔵)/Wikipediaより引用

 

676年 新羅が朝鮮半島統一。
684年 八色(やくさ)の姓を制定。
豪族を皇室との関係に応じて身分を定めました。

694年 (持統)天皇(41代)は(藤原)京に遷都しました。

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『御歴代百廿一天皇御尊影』より「持統天皇」/Wikipediaより引用

 

701年 (大宝)律令を制定し、702年に施行しました。法律です。
天皇を中心とした中央集権体制が確立しました。
藤原(不比等)らが携わりました。
藤原不比等の父は藤原(鎌足(かまたり))です。
(班田収授)法
6歳以上の男女に国が口分田を貸し出し収穫物の一定割合を税として収めさせました。土地はすべて国家のものでした。(公地公民制)

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藤原不比等/Wikipediaより引用

 

708年 日本初の流通貨幣である(和同開珎(わどうかいほう))が鋳造、発行されました。

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ColBase: 国立博物館所蔵品統合検索システム (国立博物館の統合コレクションデータベース), CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

710年 (元明)天皇(43代)は(平城)京に遷都しました。

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元明天皇/Wikipediaより引用

 

 

飛鳥時代の天皇

29 欽明天皇 538年、仏教伝来。
30 敏達天皇
31 用明天皇
32 崇峻天皇
33 推古天皇 日本最初の女帝。
34 舒明天皇
35 皇極天皇 女帝。
36 孝徳天皇
37 斉明天皇 重祚(ちょうそ)・・・皇極天皇。
38 天智天皇 大津宮。中大兄皇子が即位。
39 弘文天皇 天智天皇の子。大友皇子が即位。
40 天武天皇 飛鳥浄御原宮。天智天皇の弟。大海人皇子が即位。
41 持統天皇 藤原京。天智天皇の娘。天武天皇の皇后。女帝。
42 文武天皇 天武天皇の孫。

※重祚・・・一度退位した天皇が再び位につくこと

 

蘇我氏

1 蘇我稲目 崇仏派で廃仏派の物部尾輿と対立していた。
2 蘇我馬子 物部氏を滅ぼす。推古天皇(33代)を擁立。
3 蘇我蝦夷 乙巳の変で自害。
4 蘇我入鹿 山背大兄王を滅ぼしたが乙巳の変で暗殺された。

 

藤原氏

1 中臣鎌足
(藤原鎌足)
乙巳の変で中大兄皇子と共に蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼす。
2 藤原不比等 大宝律令の制定に携わる

 

飛鳥・白鳳文化

仏教中心の文化です。
大化の改新までが飛鳥文化で、645年から平城京遷都までが白鳳文化です。

(法隆)寺 聖徳太子が、(法隆)寺を建てました。
斑鳩寺(いかるがでら)とも呼ばれます。
法隆寺(金堂)と(五重塔)は国宝です。

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金堂と五重塔 663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 

法隆寺金堂
(釈迦三尊像)
国宝

鞍作 止利
(くらつくり の とり)が作成

Tori Busshi, Public domain, via Wikimedia Commons

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(玉虫厨子)
工芸品です
国宝

Hōryū-ji, Public domain, via Wikimedia Commons

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法隆寺
(百済観音像)
国宝

Kudara kannon, Public domain, via Wikimedia Commons

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中宮寺
(天寿国繍帳)
染織工芸品
国宝

TOKYODO, Public domain, via Wikimedia Commons

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薬師寺金堂銅造(薬師三尊)像

中央は薬師如来
正面から見て
左は月光菩薩、右は日光菩薩

薬師寺旧金堂 薬師三尊 Public domain, via Wikimedia Commons

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(薬師寺東塔)

東塔 663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%99%82%E4%BB%A3

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