日本史の流れの概要(明治:内閣と出来事)

日本史の流れの概要です。明治時代の内閣と出来事です。

明治 内閣と政党

内閣と政党

第一次
(伊藤博文)内閣
1885年12月~1888年4月(明治18年~明治21年)
最初の内閣です。
1888年 天皇の最高諮問機関で憲法草案を審議する(枢密院)が設置されました。初代枢密院議長は(伊藤博文)です。

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伊藤博文/Wikipediaより引用

 
(黒田清隆)内閣 1888年4月~1889年10月(明治21年~明治22年)
大日本帝国憲法が1889年2月11日に公布され、1890年11月29日に施行されました。
(天皇)主権で(統帥)権がありました。(統帥)権とは軍の最高指揮権です。
君主(天皇)が定めた形式です。(欽定)憲法と呼ばれます。
欧米諸国から文明国と認められ対等な関係になるためにも憲法は必要でした。
1889年に(超然主義)演説を行いました。政府は政党の影響を受けないという趣旨です。

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Kiyotaka Kuroda 黒田清隆/Wikipediaより引用

 
第一次
(山縣有朋)内閣
1889年12月~1891年5月(明治22年~明治24年)
1890.7 第一回衆議院総選挙
自由民権派の(立憲自由)党と(立憲改進)党で過半数を締めました。
()党と呼ばれます。
選挙権は直接国税を(15)円以上納める(25)歳以上の男子のみでした。
(貴族)院と(衆議)院の二院制です。納税額が多い人しか選挙権はありません。
(貴族)院の選挙はありませんでした。
(教育勅語)を発布。道徳教育に関するもので勅語とは天皇からのお言葉を意味します。
第1議会閉会直後に総辞職しました。

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Portrait of Yamagata Aritomo 山県有朋/Wikipediaより引用

 
第一次
(松方正義)内閣
1891年5月~1892年8月(明治24年~明治25年)
1891.12 第二回帝国議会 (樺山資紀)海相が蛮勇演説を行い議会は解散しました。
1892.2 第二回衆議院総選挙で(品川弥二郎)内相を中心に選挙干渉を行いました。

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政治家の頃の松方/Wikipediaより引用

 
第二次
(伊藤博文)内閣
1892年8月~1896年9月(明治25年~明治29年)
(元勲)内閣。(日清)戦争が始まる。日清戦争
自由党の(板垣退助)が入閣しました。
→藩閥政府と政党の体制(挙国一致の体制)

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第二次
(松方正義)内閣
1896年9月~1898年1月(明治29年~明治31年)
進歩党の大隈重信が外相になったので(松隈(しょうわい))内閣と呼ばれます。→藩閥政府と政党の体制です。

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第三次
(伊藤博文)内閣
1898年1月~1898年6月(明治31年)
(地租増微)案について(自由)党と(進歩)党の賛成を得られず解散。

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第一次
(大隈重信)内閣
1898年6月~1898年11月(明治31年)
(憲政)党による日本初の政党内閣
(自由)党(板垣退助)と(進歩)党(大隈重信)が憲政党を結成しました。
板垣退助も入閣したので(隈板(わいはん))内閣と呼ばれます。
この内閣は(尾崎行雄)文相の(共和演説)事件で短命に終わりました

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大隈重信/Wikipediaより引用

 
第二次
(山縣有朋)内閣
1898年11月~1900年10月(明治31年~明治33年)
(軍務大臣現役武官制)を制定。(治安警察)法の公布。

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第四次
(伊藤博文)内閣
1900年10月~1901年6月(明治33年~明治34年)
伊藤博文と憲政党員(旧自由党系)は(立憲政友会)を結成。
立憲政友会中心の内閣。伊藤博文は立憲政友会の総裁です。

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第一次
(桂太郎)内閣
1901年6月~1906年1月(明治34年~明治39年)
(日露)戦争が起こる。日露戦争
以後、桂太郎と西園寺公望が交互に組閣したので(桂園)時代と呼ばれます。

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Portrait of Katsura Taro 桂太郎/Wikipediaより引用

 
第一次
(西園寺公望)内閣
1906年1月~1908年7月(明治39年~明治41年)
日露戦争後の朝鮮、満州に対する政策などを行った。満州進出
西園寺公望は立憲政友会の総裁。

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Portrait of Saionji Kinmochi 西園寺公望/Wikipediaより引用

 
第二次
(桂太郎)内閣
1908年7月~1911年8月(明治41年~明治44年)
社会主義運動を取り締まる方針をとった。
関税自主権を回復しました。不平等条約の改正
韓国併合を実現しました。韓国併合
 
第二次
(西園寺公望)内閣
1911年8月~1912年12月(明治44年~明治45年/大正元年)
(上原勇作)陸軍大臣は(2個師団)増設案を拒否されたので辞表した。
陸軍は後任を出さなかっため内閣は総辞職した。
((軍部大臣現役武官制)のため)

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