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藩閥政治の時代
藩閥政治とは、明治維新を主導した政治指導者(例:伊藤博文、山県有朋、井上馨)が中心となり政治を行う体制です。
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第一次 |
1885年12月~1888年4月(明治18年~明治21年) 1888 天皇の最高諮問機関で憲法草案を審議する(枢密院)が設置されました。初代枢密院議長は(伊藤博文)です |
確認 |
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(黒田清隆)内閣 |
1888年4月~1889年10月(明治21年~明治22年) 大日本帝国憲法が1889.2.11に公布され、1890.11.29に施行されました。 1889 (超然主義)演説を行いました。議会の多数派に左右されず、政府主導で政治を行う考え方です。 |
確認 |
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第一次 |
1889年12月~1891年5月(明治22年~明治24年) |
確認 |
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第一次 |
1891年5月~1892年8月(明治24年~明治25年) 1891.12 第二回帝国議会 (樺山資紀)海相が蛮勇演説を行い議会は解散しました。 1892.2 第二回衆議院総選挙で(品川弥二郎)内相を中心に選挙干渉を行いました。 |
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明治憲法体制(1890年以降)の政治構造 |
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天皇 |
政府と政党の対立と妥協(前期)
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第二次 |
1892年8月~1896年9月(明治25年~明治29年) (元勲)内閣。(日清)戦争が始まる。 自由党の(板垣退助)が入閣しました。 |
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第二次 |
1896年9月~1898年1月(明治29年~明治31年) 進歩党の大隈重信が外相になったので(松隈(しょうわい))内閣と呼ばれます。→藩閥政府と政党の体制です。 |
確認 |
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第三次 |
1898年1月~1898年6月(明治31年) (地租増徴)案について(自由)党と(進歩)党の賛成を得られず解散。 |
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初の政党内閣(大隈)
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第一次 |
1898年6月~1898年11月(明治31年) (憲政)党による日本初の政党内閣 (自由)党(板垣退助)と(進歩)党(大隈重信)が憲政党を結成しました。 この内閣は(尾崎行雄)文相の(共和演説)事件で短命に終わりました。 |
確認 |
政府と政党の対立と妥協(後期)
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第二次 |
1898年11月~1900年10月(明治31年~明治33年) (軍部大臣現役武官制)を制定。 |
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第四次 |
1900年10月~1901年6月(明治33年~明治34年) 与党 立憲政友会 伊藤博文と憲政党員(旧自由党系)は(立憲政友会)を結成。 立憲政友会中心の内閣。伊藤博文は立憲政友会の総裁です。 |
確認 |
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第一次 |
1901年6月~1906年1月(明治34年~明治39年) 与党 なし (日露)戦争が起こる。 以後、桂太郎と西園寺公望が交互に組閣したので(桂園)時代と呼ばれます。 |
確認 |
政党政治の定着(桂園時代)
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第一次 |
1906年1月~1908年7月(明治39年~明治41年) 与党 立憲政友会 日露戦争後の朝鮮、満州に対する政策などを行った。 西園寺公望は立憲政友会の総裁。 |
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第二次 |
1908年7月~1911年8月(明治41年~明治44年) 与党 なし 社会主義運動を取り締まる方針をとった。 関税自主権を回復しました。 韓国併合を実現しました。 |
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第二次 |
1911年8月~1912年12月(明治44年~明治45年/大正元年) 与党 立憲政友会 (上原勇作)陸軍大臣は(2個師団)増設案を拒否されたので辞表した。 1911~1912 孫文らによる(辛亥)革命が起こり清朝が滅亡し中華民国が建国された。 |
確認 |
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